また明日

 

2011年3月11日

あの震災のほんの数時間前に

「またね〜」と言って、電話を切ったその人はもう居ない。

「またね〜」の「また」は、もう来ない。

だから

「またね」の

「また明日、また今度、また逢おう」は

幸福そのもの、の象徴に感じてしまう。

 

そのせいか、わたしは

また逢いたいと思うと、しつこく何度も何度も

「またね」を乱射しまくる癖がついた。

次の約束をつくりたい衝動に駆られる。

 

「これから、よろしくお願いします。」

で、さえも 「またね」 に変換して耳に聴こえてくる。。。

こんな説明をしてから「またね」を伝えている訳でもないから

しつこく言いすぎて、言われた方はどん引いてるかもしれないなぁ。

 

宮城県から引越して、5ヶ月が過ぎ

5ヶ月を超えて

ようやく 北海道のこの場所で

「またね」や「これからよろしくお願いします」を伝えたい人に出逢えた。

心が高揚して

ものすごく嬉しかった。

逢いたいって思える人が北海道で出来たぁ〜〜〜!!!

と、感動してたら

はじめに書いたことが足の爪の先の方から

ぐわぁ〜〜〜〜〜って喉にこみあげた。

 

思い出さないようにしたいけど、忘れたくないことがたくさんある。

忘れたいけど忘れちゃだめだと思うことが、いくつかある。

この感情は手放しちゃだめだと、ギュッと手を握る。

説明のつかない不安と説明出来ない希望が「またね」に隠れてる

 

大事にしたい 幸福の「また明日」

 

たゆう