今日はなぜかこの言葉が思い浮かびました。
そして、フィルムカメラで久々に写真を撮った。
「ガシャコンっ」という
メカニカルなシャッター音と
「撮った!」という実感が強烈に身体に残った。
そして
デジカメのように
すぐに撮った画像を確認できないかわりに
撮った瞬間の景色が記憶に残っている。
それが、強烈に残った「撮った実感」なのだと思う。
なぜ、こんなに写真が好きになったのだろう。
小学生のころ
プラモデルをジオラマ風に撮影したくて
父にカメラを借りたのが始まりだったと思う。
そのときの庭の景色やプラモデルのことも
不思議と鮮明に覚えている。
はじめは撮るのが、ただ楽しくて
庭の草木
空
街角
人
風景
そのうちに
モノクロ写真に出逢い
カメラ越しに見る世界の向こう側
のような
撮っている自分の内面
というか
なにか形のないもの
それこそ「こころ」
と向き合う道具として
カメラにのめり込んだのだと思う。
ここまで書いてみて
「こころ」という言葉が繋がったなぁと
ひとりで納得してしまった。
実は、
珈琲豆の焙煎という仕事が
自分の感覚として
フィルムカメラで撮って
フィルムを自分で現像して
写真を印画紙に焼き付ける
という写真の作業と
通じるものがあって
これは、感覚的過ぎて
今までは説明がとても難しいと思っていたのですが
「こころ」と向き合う
という点が共通しているんだ!
珈琲を通して
自分と向き合い
焙煎という仕事の向こう側に
自分の焙煎した珈琲豆を
待っていて下さるお客様がいて
そこに暮らしがあって
景色がある。
今日、今、
自分の中で 強く
この焙煎という仕事に直感で惹かれた理由に
気がつきました。
忘れられない写真を一枚と
忘れられない珈琲を一杯。
今日は、沢山珈琲を飲みました。
<今日の珈琲>
種やブレンド http://www.taneyaka.com/cn43/blended/pg97.html
ブラジルアロマショコラ カフェインレスコロンビア